作文好きな子どもを育てるには
作文が好きな子と嫌いな子と2極化している。
文章を書いたり、自分を表現したりするのが好きな子は好きで。
書くのに苦手意識をもっている子は嫌いだ。
自分は苦手意識を持っていて嫌いであった。作文嫌いの要因は3つに分けられる。読書感想文も同様だと思う
①書き方がわからない
②やらされ感がある
③提出しても細かな直しやその後清書するなど面倒
①に関しては文章の型をもっと教えるべきである。
また、原稿用紙何枚以上書きましょうという指導は弊害を生んでいる。
書くことがないのにだらだらと書いたり、やたら修飾語、鍵かっこが多くして字数を稼いだりと
伝えるというように本来の人に伝えるという目的から離れてしまう。
大人になれば「A4一枚にまとめる」力のほうが求められる。
「先生1枚で終わってしまいました。」という子どもには
「1枚に伝えたいことがよくまとまっているよ」などそこをもっと価値づけしてもよいと思う。
作文はたくさん書かなくてもよいという気持ちになれば、ハードルは下がるし、褒められるとやる気がでる。
②やらされ感がある
これは作文をする目的意識をもたせてから書き始めることが大事といえる。
遠足の作文なら「おうちの人にあったことを伝えるため」や「10年後の自分に読んでもらうため」
読書感想文なら「読書記録にするため」、「この本を人に勧めるため」
などなどである。
文字というのは人類の優れた発明品の一つである。本来の人に伝えたり、記録を残したりという目的に立ち返ることが
今一度必要だと思う。
③細かな直しを要求される
「先生できました」と持ってきた作文
ついつい、誤字や段落、言葉の間違いなどに目がいってしまい、まずそこを指摘してしまいがちである。
そうではなく、まず文章の感想を一言いうべきである。
「説得力あるね!」「おもしろい構成にしたね!」「書き出しがいいね!」「コンパクトにまとまっているね!」
いいとこを見つけ、そこを認め、価値づける。その一言を出すたびに言われたらどんどん書く意欲もわいてくると思う。
訂正させるのは意欲に火がついてから。時にはあえての見逃しも必要だと思う。
誤字の訂正などはAIなどがそのうちやってくれる時代がすぐに来る。
子どもたちには自分を表現する楽しさや、思考を整理できる書くことのよさを感じさせることが
第一義ではないだろうか。