教育研究家の日記

教育研究家による備忘録

一つ上の視点をもつこと

一時的な楽さを与えることでその子のためにならないことがあり、

あえて厳しくすることが必要なことがある

 

例えば、授業の課題が早く終わった子がいる。授業時間はまだある。

子どもから何をするか聞かれたらなんと指示を出すだろうか。

 

自分の課題が終わったら静かに読書をして過ごす。お絵かきとかでもよい。

 

という指示を出している同僚がいた。それに関してどう思うだろうか。

 

もちろん授業展開を工夫して、そのような場面を作らない授業もできる。

 

また、子ども自身を指示待ちにならないように育てることもできる。

が、それはそれで、よく起こる場面という前提で話を進める

 

早く終わったら好きにしてよいのは子どもは嬉しいし、自由にさせてくれる先生に好意をもつかもしれない。

 

 

しかし、よくない面が2つある。

1つは好きにしたいがためにさっさと課題を終わらせようと雑にやる子が増えることである。

学習が目的ではなく、早く終わらせることが目的にすり替わってしまう。

2つめは後でよくないと気づいても一度楽なことを覚えてしまうとなかなか戻れないということである。

 

子どもの視点ではそれはわからないし、それが学習にどう影響するかも本人はわからない。

長期的に見れば、そのような勉強の仕方では学習の定着率が下がるのは明らかである。

 

理解ある先生になろうとして、子どもの要求をすぐ受けてしまわないように気をつける必要がある。

 

子どもの目線も理解しつつ、育てるプロとしての視点で様々な判断ができるようにしていくことが教師にとって必須条件。

 

自分が上司や教授する立場なら(もちろん教わることのほうが多いが)育成する対象よりも高い視点で

自分が部下や教わる立場なら自分の価値判断だけを信じずに、上司の目線でその指示や考え方を捉えるとよいのではなかろうか。